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新宮市立 佐藤春夫記念館

TEL. 0735-21-1755

〒647-0003 和歌山県新宮市新宮1番地
(熊野速玉大社境内)

佐藤春夫についてPROFILE

佐藤春夫について

佐藤春夫

明治25年(1892年)和歌山県東牟婁郡新宮町(現・新宮市)に生まれました。
医師である父・豊太郎が文芸にも造詣が深くまた、当時木材業で栄えた新宮には大石誠之助、西村伊作、沖野岩三郎ら先進的な文化人が活発に活動していました。 そうした環境の中で春夫は文学少年として成長していきました。 明治43年(1910年)、中学卒業と同時に上京。慶應義塾大学予科文学部に入りますが、のちに中退。

雑誌「三田文学」「スバル」などに詩歌を発表、また「西班牙犬の家」を発表してその才能が注目されつつありましたが、大正7年(1918年)、 谷崎潤一郎の推挙により文壇に登場、以来『田園の憂鬱』『お絹とその兄弟』『美しき町』などの作品を次々に発表してたちまち新進流行作家となり、 芥川龍之介と並んで時代を担う2大作家と目されるようになりました。

その著作は多様多彩で、詩歌(創作・翻訳)、小説、紀行文、戯曲、評伝、自伝、研究、随筆、評論、童話、民話取材のもの、外国児童文学翻訳・翻案などあらゆるジャンルにわたっています。 昭和39年5月6日、自宅でラジオ録音中、心筋梗塞のため72歳で死去しました。


主な作品


・殉情詩集
・南方紀行
・都会の憂鬱
・詩文集『我が一九二二年』
・侘しすぎる
・李太白
・訳書『ピノチオ』
・女誡扇綺譚
・佐藤春夫詩集
・蝗の大旅行
・退屈読本
・文芸一夕話
・厭世家の誕生日
・支那童話集
・神々の戯れ
・訳詩集『車塵集』
・更生記
・心驕れる女
・詩集『魔女』
・維納の殺人容疑者
・みよ子
・ぽるとがる文
・閑談半日
・掬水譚
・絵本FOU
・熊野路
・泰淮画舫納涼記

略年譜

1892(明治25)年
和歌山県新宮市船町に生まれる
1897(明治30)年
新宮市登坂(熊野病院)に移転
1904(明治37)年
和歌山県立新宮中学校に入学
1909(明治42)年
与謝野寛が来熊。その影響を受け、終生、師とあおぐことになる
1910(明治43)年
和歌山県立新宮中学校を卒業、慶応義塾大学に入学(のち中退)
1915(大正4)年
第2回二科展に入選する。以後、翌年、翌々年にも入選
1918(大正7)年
谷崎潤一郎の推薦により文壇にデビュー
(その後『田園の憂鬱』など続々と作品を発表、流行作家の地位を築く)
1921(大正10)年
『秋刀魚の歌』を発表。処女詩集『殉情詩集』を刊行
1927(昭和2)年
東京の関口町(現文京区関口)に、新築中の住居が完成する
1929(昭和4)年
訳詩集『車塵集』を刊行
1930(昭和5)年
谷崎潤一郎前夫人・千代と結婚
1932(昭和7)年
長男・方哉誕生
1935(昭和10)年
芥川賞の選考委員になる
1936(昭和11)年
文化学院の文学部長になる
1948(昭和23)年
芸術院会員となる
1951(昭和26)年
新宮市歌を作詞
1953(昭和28)年
第4回読売文学賞(詩歌賞)を受賞
1955(昭和30)年
第6回読売文学賞(小説賞)を受賞
1957(昭和32)年
新宮を舞台に『わんぱく時代』を発表
1959(昭和34)年
勝浦駅前に『秋刀魚の歌』、速玉大社境内に『望郷五月歌』の詩碑を建立
1960(昭和35)年
第20回文化勲章を受賞、新宮市の初代名誉市民となる
1964(昭和39)年
自邸において録音中に急逝する(72才)
1966(昭和41)年
新宮市民会館前に筆塚建立
1989(平成1)年
東京の春夫邸を新宮市に移築し、佐藤春夫記念館オープン
1990(平成2)年
佐藤春夫記念館、芦屋市・谷崎潤一郎記念館と姉妹館提携を結ぶ
1989年(平成元年)
東京の春夫邸を新宮市に移築し、佐藤春夫記念館を開館。
1990年(平成2年)
佐藤春夫記念館、芦屋市・谷崎潤一郎記念館と姉妹館提携を結ぶ。

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新宮市立 佐藤春夫記念館

〒647-0003
和歌山県新宮市新宮1番地
(熊野速玉大社境内)

TEL:0735-21-1755
FAX:0735-21-1755