森本薬店紹介記事(協力会だより『店コンセプト&ポリシー』より)
歴史の町に根付いた漢方
森本薬店和歌山県新宮市森本一三先生

 

 木材と熊野信仰の町、新宮市。地元での多方面にわたる活動のほか、地域の歴史にも造詣の深い森本一三先生の経営される『森本薬店』さんを訪ねました。

■重厚さと柔らかさの精妙な調和
 お店はJR新宮駅から北東へ徒歩約五分、住宅の密集する地域にあります。今年三月に改築されたばかりの店内は、奥行きが深く、天井が高い空間設計。ディスプレーは漢方薬がほとんどです。白熱灯中心の照明が重厚な雰囲気を醸していますが、陳列棚と天井の間の壁面 には九州の著名な画家の手になる薬用植物の彩色画が描かれ、季節の花や観葉植物が商品の間を埋め、漢方の老舗というベースに親近感が巧くミックスされています。
 森本先生は三重県の瀞八丁の上流、奥瀞峡に沿った小さな山村のご出身。十代で新宮へ来られたのは、日本が戦時体制を日々強化しているまっただ中。戦況が悪化するに従って、あらゆる産業が戦時統制下におかれ二十数軒あった新宮市の薬屋も企業整備令の対象となりました。この情勢に対し、卸・小売業者が協議し、個人事業を廃止、新宮薬品株式会社を創設、全員株主(社員)になり、先生も復員後この会社に就職されます。五年後、腰椎カリエスに冒され休職療養され、二年後、退職されました。戦前取得されていた薬種商の資格をもとに、現在地に店を開かれます。昭和二十六年でした。

■闘病体験が推売の自信へ
 当初は一般薬主体のお店でしたが、しばらくして漢方に目を向けられました。まだ漢方薬が一般 にあまり普及していない時代、猛勉強で漢方の知識を吸収。現在、新宮市でもっとも古い漢方専門店として地域の信頼を得ておられます。
「十二年前に私自身、不養生がもとで高血圧で倒れ、半身不随になりましたが、入院すると点滴と寝てばかりの療養生活で、本当に寝たきりになるのでは、との不安から医師にかからずの漢方治療で回復しました。その三年後に心臓を患い、病院で受診中に発作が起こり即入院、心筋梗塞でした。後二、三日といわれましたが、漢方療法の併用で危機を克服、自力で治しました」
『森本薬店』さんの地域に根付いた実績の裏付けになっているのは、先生ご自身のこの体験による自信と思われます。
 頻用処方は、カッコーンSやサイケットS、ショウセリンSなどの風邪薬。慢性病ではキュウキイン、トウシャンSなどの婦人薬がよく出ています。山林の町という土地柄、花粉症にノーザSが人気商品とのこと。

■伝統を基盤としたヒューマンな活動
 先生の東洋医学の古典に関する深い知識と、店頭での豊富な経験は、昨年地方紙『紀南新聞』に十回にわたって連載された『漢方薬ものがたり』に記述されています。この原稿は新宮市の保健所の依頼で行われた健康に関する講演を下敷きにしたものでした。漢方普及に関して先生は『和歌山県自然薬研究会会長』、『紀州漢方柴胡会会長』などの立場からも活動されていますが、ほかにも『和歌山県家庭裁判所参与員』、『和歌山県地方裁判所司法委員』などの役務をこなされています。
 漢方書は単行本だけで約四百冊の蔵書があると言われます。一方で、新宮市に縁の深い、二千二百年前に不老不死の薬を求めて渡来したという秦の徐福に関する研究も行われ、古典が趣味とおっしゃる先生ですが、休みはもっぱら山に行かれているそうです。
「二十五年ほど前から七町歩の山にスギとヒノキを植えています。父が林業に携わっていましたので馴染みがあって始めたのですが、木の成長を見るのは楽しいものです」
 熊野川河口にある新宮市はかつて、木材の集積地として五百石舟千石舟で賑わっていましたが、最近では外材の輸入などによって以前の活況は見られなくなりました。植林への熱意は、古典を愛し、歴史を学ぶ先生の伝統を守りたいという衝動と直結しているのかもしれません。
 ご子息の長男剛史氏は東京でジャーナリストとして事務所を持たれて活躍され、次男の祐司先生が先生と共にお店を経営されています。七十六歳、先生の更なる活躍が期待されます。

(協力会だより No.21 1995.7 小太郎漢方製薬M医薬事務局 p.24-25)