| 新宮の文化人 |
| 新宮の人の特徴は、反骨と進取の気性である。他人と同じことをしたくないという気性が、骨の髄までしみ込んでいるのである。 その昔、新宮に水野忠央(ただなか)というお殿様がいた。新しいことをするのが好きな殿様だった。藩士にあだ名を付け、北海道の開拓を企画し、製紙業を興し、ガラスの製造所を設け、備長炭の製造直売を推進し、『丹鶴叢書(たんかくそうしょ)』という一大古典叢書を発行し、西洋式軍艦を造り、フランス式騎兵調練を始め、ついには徳川幕府の将軍擁立までした殿様であった。 新宮の風土は、人も物も、すべてが水野のお殿様のような感じである。寒暖の植物が混生している浮島の森、不老不死の霊薬を求めた徐福、神話の時代から続く祭り、どれもこれも世の決まりごとをはみ出ていき、全く新しいことを好んでする。 つまり言ってみれば、新宮の風土丸ごと芸術家なのである。東くめ、佐藤春夫、西村伊作、中上健次などが丸ごと芸術家であるのは至極当たり前のことなのである。 |
| 明治10年、水野藩主水野家の家老職、由比甚五郎の長女として新宮に生まれる。東京音楽校在学中より作詞を手がけ後に、滝廉太郎とのコンビにより「鳩ぽっぽ」「お正月」「鯉のぼり」「雪やこんこん」など、日本で最初の口語体による唱歌を生み出し、今も愛唱されている。駅前に鳩ぽっぽのモニュメントや歌碑がある。 |
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| 明治17年、大石余平の長男として生まれ、その後、母方の西村家に入籍、叔父の大石誠之助に育てられた。東京に「文化学院」を設立し、日本でも最初の男女共学を実現し、自由教育を実践した。建築・芸術方面 でも才能を発揮し、スイス風のこの記念館は、自宅として本人が設計したもので、与謝野夫妻や画家石井柏亭など多くの文化人や芸術家が集い、交友を深める場となった。 |
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問:西村記念館(0735-22-6570) |
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問:佐藤春夫記念館(0735-21-1755)
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| 昭和21年新宮市に生まれる。新宮を舞台にした血縁・地縁の物語『岬』で第74回芥川賞を受賞した。熊野をうたった独自の物語世界がダイナミックに展開され、代表作に『枯木灘』『千年の愉楽』『奇蹟』など多数ある。熊野をこよなく愛した彼は、市内の南谷に眠っている。墓地には熱心な読者が今でも多く訪れ、香花が絶えない。墓石に刻まれた文字は彼の自筆である。 |
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問:中上健次(新宮市立図書館 0735-22-2284) |