3-b 三番目の自邸(現在の西村記念館)

 その後、彼は1914(大正3)年、新宮市伊佐田に3度目の自邸を建築します。彼はこの自邸で東京に転居するまでの約10年間を大勢の家族とともにすごし、ここでの建築の経験や生活実践を通じて自分の住宅や生活改善の主張を完成させます。また、ここで次に紹介する『楽しき住家』を執筆します。
 この自邸はバンガローとは異なりより大規模な2層のもので、現在西村記念館として一般に公開されています。

外観 (パーラー)

1F平面

 この自邸の外観の特徴は軒に「ガンギ」と呼ばれる紀伊半島の山間の民家に見られる意匠を取り入れていることです。このように彼は民家、農家に注目し、洋風の住宅にもこのような住宅の外観を取り入れようとしました。つまり彼は「民衆」「農」の文化に注目していたのでした。その他意匠面では内外ともほとんど装飾を無くしたものであることも注目すべきです。
 平面は米国の住宅プラン集にある平面に類似しており、このことからも彼は米国住宅の影響を強く受けていたことが明らかです。
 設備面では彼の工夫によって水洗便所や温風暖房、給湯設備が備えられていました。
 この自邸には親しく交流した与謝野晶子、佐藤春夫、富本憲吉(陶芸家)、安田龍門(彫刻家)らが訪れています。



「2)西村伊作の住宅」へ戻る
次に進む